ちゃーちゃん
ちゃーちゃんとは、自分の家の祖母の愛称です。妹が祖母をそう呼ぶこともあり、親しみをこめてそう呼んでいます。自分自体は昔から「おばあちゃん」と呼ぶことのほうが多かったので、1年ぐらいから意識的に「ちゃーちゃん」と呼んでいましたが、いまだにおばあちゃんのほうがしっくりきます
8時半頃、父に起こされました。とても予想だにしない一言を言われて
「おばあちゃんが死んだ」
前日の夜は全然眠れず、床についてから二時間ぐらいかけて寝たせいもあって、半分動いていない脳ではその言葉を認識するにはいささか難しかったようで、よくわからないままリビングへ出ました
そこにはおいおい泣き崩れた母の姿がありました。ねぼけた頭はそれでようやく認識したようで、自分は何も言えずソファーに腰を下ろしました。父は祖母のいる実家の人と連絡をとっていました
しばらくして父と母は、妹と自分を残して祖母のいる実家へ行きました。まだ気が気でなさそうな母に「気をつけて」と伝えて。
妹は祖母の死を理解していたのか、もしくは母がいないためか、終始泣きわめいていました。自分は不安にさせないよう、作った笑顔を浮かべてあやしていました。もちろん泣き止むことはありません
二人が様子を見に行ってから30分ぐらい経った後、ようやく祖母の死を脳が完全に受け入れたようで、声を上げて泣きました。止めようと思っても口から漏れる嗚咽。正直自分からあんな声が出るとは思ってもみませんでした。嗚咽が終わっても、涙は止まりません。泣き止んでもふとしたことでまた涙が出てきてしまいます。
過去何度か、身内が死んでしまった時に自分は涙を流すことが出来るのだろうか考えたことがありました。むしろ今では止め方を教えてもらいたいぐらいです
物心ついた時からおじいちゃんおばあちゃんは母方の祖母だけでした。父方の祖母は自分が1歳になる前に逝ってしまいましたので覚えていませんから、実質母方の祖母だけが自分のおばあちゃんでした。
あれから急激な眠気で母のベッドで横になり、起きた時には妹が軽い喘息を起こしていました。うちわで扇いであげたりしていると二人が帰ってきました。妹の世話を母に任せて父と二人で二階の廊下へ行き、父から詳しいことを聞くと自分は再び声を上げて泣いてしまいました。せめてと考えていた小さな願いも、叶わなかったのです。自分はそのまま自分の部屋で声を上げて泣き、父は自分の嗚咽が漏れないように、リビングと階段を繋ぐ戸を閉めた音が聞こえました。そのまままた自分は泣き疲れたように眠りました
昼が過ぎて目を覚まし、食欲のない体に無理やりお茶漬けを押し込んで、リビングでただ座っていました。ただ電源がついているだけのテレビの音が、この時ばかりはとてもありがたかったです。テレビの音がないと気持ちが沈んでばかりです
父からお通夜と告別式の時間を聞き、一人暮らしをしている兄に電話をしました。コール音が「おれたちゃはだしがユニフォームー」と、いかにも兄らしい。1度留守電に繋がり、2回目のコールで兄が電話に出ました。「落ち着いて聞いて」と置いてから祖母の話をしました。「そっかあ……」と、取り乱してはいませんでしたが、何とも言えない哀愁がこちらにも伝わってきました。逆にこちらの方が説明している時に涙目になってしまいました。兄にお通夜の日程を教え、来てあげてと伝えました。何だかんだで自分以上のおばあちゃんっ子ですから、きっと来てくれるでしょう
3時過ぎに、祖母の入棺に立ち会うため祖母の実家へ
居間では丁度業者の方が祖母を着替えさせている状況でした。しばらく待っていると死亡診断書を取りにいっていた従兄弟が帰ってきました。数年ぶりの再会となった従兄弟の姉弟は……とても今風になっていました。特に弟のほうは湘南という言葉がよく似合いそうな風貌になってしまい、髪の毛もロン毛に。自分が最後に会った時は野球部で坊主が似合う子だったのに……今では俺が坊主ですよ!
まもなく居間の戸が開きました。これから入棺が始まろうとしています。正直顔を見たくありませんでした。見てしまったら、現実を受け入れないといけないと感じました。そんなことで祖母が逝ってしまった事実を覆すことなんて出来やしないのに
しかし入棺の手伝いをしないと祖母も浮かばれないという考えもあり、意を決意して顔を見ました。死に化粧が済んだ祖母の顔は、まるで祖母ではないような顔をしていたので、最初は祖母と認識することが出来ませんでした。ですがよく見てみるとそれは紛れもない祖母の顔でした。ピクリとも動かない祖母を見て、改めて逝ってしまったのを実感しました。
入棺が始まりました。親族の皆で祖母の入棺を手伝います。体を拭いてあげたり、足袋を履かせたり、皆で布団ごと持ち上げて棺おけの中にやさしく入れてあげました。祖母の姿を見て出なかった涙が、ここにきて少しずつあふれてきました。母が祖母の部屋からリラックマのぬいぐるみを持ってきました。自分の家に住んでいた頃、このぬいぐるみが気に入り、実家にも持っていって祖母の話し相手になってくれたぬいぐるみ。一緒に棺の中に入れてあげました。あちらの世界でも寂しくないようにと。そしてふたが閉められました。従兄弟も泣いていました。
線香をあげ、塩で清めて、入棺の儀式が終わりました。
妹は祖母の姿を見て泣くことはありませんでしたが、ハンカチを持って目頭を拭くしぐさをしたりするところから、祖母の死については理解したいたのだと思います
久々の従兄弟との会話は、お互い今どんなことをしているかと、数年ぶりに会った時にありがちな会話でした。話を重ねると、今風な格好になった従兄弟もやはり昔のままでした
父らは葬式に必要なものの準備について話し合っていました
夕飯では久しぶりに酒を飲み、食べたらまた寝ました。その時間で寝てしまえば夜寝れないことはわかっていましたが、今日は寝ないとどう時間を過ごしていいかわかりませんでした
入浴などを済まして、時間をかけてこの日記を書きました。書くにあたって今日のことを思い出していたら、また声が出てしまいました。今の自分には泣くことしか出来ないけれど、それが今の自分が祖母に出来る最善のことだと思います。おばあちゃんが死んでこんなに悲しむ孫がいるのだと、おばあちゃんに伝えるために
1日にお通夜、2日に告別式があります。もうすぐ永遠のお別れです
8時半頃、父に起こされました。とても予想だにしない一言を言われて
「おばあちゃんが死んだ」
前日の夜は全然眠れず、床についてから二時間ぐらいかけて寝たせいもあって、半分動いていない脳ではその言葉を認識するにはいささか難しかったようで、よくわからないままリビングへ出ました
そこにはおいおい泣き崩れた母の姿がありました。ねぼけた頭はそれでようやく認識したようで、自分は何も言えずソファーに腰を下ろしました。父は祖母のいる実家の人と連絡をとっていました
しばらくして父と母は、妹と自分を残して祖母のいる実家へ行きました。まだ気が気でなさそうな母に「気をつけて」と伝えて。
妹は祖母の死を理解していたのか、もしくは母がいないためか、終始泣きわめいていました。自分は不安にさせないよう、作った笑顔を浮かべてあやしていました。もちろん泣き止むことはありません
二人が様子を見に行ってから30分ぐらい経った後、ようやく祖母の死を脳が完全に受け入れたようで、声を上げて泣きました。止めようと思っても口から漏れる嗚咽。正直自分からあんな声が出るとは思ってもみませんでした。嗚咽が終わっても、涙は止まりません。泣き止んでもふとしたことでまた涙が出てきてしまいます。
過去何度か、身内が死んでしまった時に自分は涙を流すことが出来るのだろうか考えたことがありました。むしろ今では止め方を教えてもらいたいぐらいです
物心ついた時からおじいちゃんおばあちゃんは母方の祖母だけでした。父方の祖母は自分が1歳になる前に逝ってしまいましたので覚えていませんから、実質母方の祖母だけが自分のおばあちゃんでした。
あれから急激な眠気で母のベッドで横になり、起きた時には妹が軽い喘息を起こしていました。うちわで扇いであげたりしていると二人が帰ってきました。妹の世話を母に任せて父と二人で二階の廊下へ行き、父から詳しいことを聞くと自分は再び声を上げて泣いてしまいました。せめてと考えていた小さな願いも、叶わなかったのです。自分はそのまま自分の部屋で声を上げて泣き、父は自分の嗚咽が漏れないように、リビングと階段を繋ぐ戸を閉めた音が聞こえました。そのまままた自分は泣き疲れたように眠りました
昼が過ぎて目を覚まし、食欲のない体に無理やりお茶漬けを押し込んで、リビングでただ座っていました。ただ電源がついているだけのテレビの音が、この時ばかりはとてもありがたかったです。テレビの音がないと気持ちが沈んでばかりです
父からお通夜と告別式の時間を聞き、一人暮らしをしている兄に電話をしました。コール音が「おれたちゃはだしがユニフォームー」と、いかにも兄らしい。1度留守電に繋がり、2回目のコールで兄が電話に出ました。「落ち着いて聞いて」と置いてから祖母の話をしました。「そっかあ……」と、取り乱してはいませんでしたが、何とも言えない哀愁がこちらにも伝わってきました。逆にこちらの方が説明している時に涙目になってしまいました。兄にお通夜の日程を教え、来てあげてと伝えました。何だかんだで自分以上のおばあちゃんっ子ですから、きっと来てくれるでしょう
3時過ぎに、祖母の入棺に立ち会うため祖母の実家へ
居間では丁度業者の方が祖母を着替えさせている状況でした。しばらく待っていると死亡診断書を取りにいっていた従兄弟が帰ってきました。数年ぶりの再会となった従兄弟の姉弟は……とても今風になっていました。特に弟のほうは湘南という言葉がよく似合いそうな風貌になってしまい、髪の毛もロン毛に。自分が最後に会った時は野球部で坊主が似合う子だったのに……今では俺が坊主ですよ!
まもなく居間の戸が開きました。これから入棺が始まろうとしています。正直顔を見たくありませんでした。見てしまったら、現実を受け入れないといけないと感じました。そんなことで祖母が逝ってしまった事実を覆すことなんて出来やしないのに
しかし入棺の手伝いをしないと祖母も浮かばれないという考えもあり、意を決意して顔を見ました。死に化粧が済んだ祖母の顔は、まるで祖母ではないような顔をしていたので、最初は祖母と認識することが出来ませんでした。ですがよく見てみるとそれは紛れもない祖母の顔でした。ピクリとも動かない祖母を見て、改めて逝ってしまったのを実感しました。
入棺が始まりました。親族の皆で祖母の入棺を手伝います。体を拭いてあげたり、足袋を履かせたり、皆で布団ごと持ち上げて棺おけの中にやさしく入れてあげました。祖母の姿を見て出なかった涙が、ここにきて少しずつあふれてきました。母が祖母の部屋からリラックマのぬいぐるみを持ってきました。自分の家に住んでいた頃、このぬいぐるみが気に入り、実家にも持っていって祖母の話し相手になってくれたぬいぐるみ。一緒に棺の中に入れてあげました。あちらの世界でも寂しくないようにと。そしてふたが閉められました。従兄弟も泣いていました。
線香をあげ、塩で清めて、入棺の儀式が終わりました。
妹は祖母の姿を見て泣くことはありませんでしたが、ハンカチを持って目頭を拭くしぐさをしたりするところから、祖母の死については理解したいたのだと思います
久々の従兄弟との会話は、お互い今どんなことをしているかと、数年ぶりに会った時にありがちな会話でした。話を重ねると、今風な格好になった従兄弟もやはり昔のままでした
父らは葬式に必要なものの準備について話し合っていました
夕飯では久しぶりに酒を飲み、食べたらまた寝ました。その時間で寝てしまえば夜寝れないことはわかっていましたが、今日は寝ないとどう時間を過ごしていいかわかりませんでした
入浴などを済まして、時間をかけてこの日記を書きました。書くにあたって今日のことを思い出していたら、また声が出てしまいました。今の自分には泣くことしか出来ないけれど、それが今の自分が祖母に出来る最善のことだと思います。おばあちゃんが死んでこんなに悲しむ孫がいるのだと、おばあちゃんに伝えるために
1日にお通夜、2日に告別式があります。もうすぐ永遠のお別れです
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